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パリ 橋ものがたり No.3

 
B コンコルド橋 LE PONT DE LA CONCORDE〜


フランス史で最も重要な出来事と言えば、フランス革命。日本では寛政の改革、アメリカではワシントンが初代大統領になった頃のことです。 コンコルド橋は、激動の時代を反映して、誕生後わずか40年の間に5回も名前を変えました。さて、少し歴史を振り返ると...

橋の計画は、1720年代、ルイ15世の時代にさかのぼります。 しかし、財政難のため、実現されませんでした。それから60年余り後。ルイ16世の命により、橋が着工されたのは、1787年。革命の2年前のことです。

1789年7月14日、バスチーユ牢獄の襲撃により、フランス革命は幕を開けます。破壊されたバスチーユ牢獄の石は、橋の建設資材の一部に使われました。

1791年、橋は完成。「ルイ16世橋」と名付けられます。
革命はますます激しさを増し、1792年に王政は廃止され、橋の名前も「革命橋」に変わります。フランス国歌ラ・マルセイエーズが作られたのもこの年です。ルイ16世と王妃マリー・アントワネットは、その翌年に処刑されました。
1795年、橋は「コンコルド橋」と呼ばれるようになります。その後、ナポレオンが政権を握る時代が到来します。
1814年、ナポレオンは没落し、王政が復活。 ルイ16世の弟が王位につき、橋の名前も「ルイ16世橋」に戻ります。
しかし、混乱は続きます。1830年、国王派と共和国派の対立を静めるため、ふたたび「コンコルド橋」になりました。
 

セーヌ川左岸には、国民議会(下院議会)のあるブルボン宮。 右岸には、オベリスクがそびえるコンコルド広場と、その向こうにマドレーヌ寺院。ブルボン宮もマドレーヌ寺院も、ギリシャ神殿のような円柱が目を引きます。 コンコルド橋と広場をはさんで向かい合い、フランス式の対称美を見せています。
 Aアレクサンドル3世橋

Cロワイヤル橋